掛け軸・掛物とは
掛け軸・掛物とは書画を表装し、床や壁に掛けられるように仕立てたものをいいます。そして茶の湯ではその席の構成を主導し、取り合わせの中心となります。
日本書画の源流
前身は仏教絵画(仏像画・曼荼羅・頂相【ちんそう】・図像など)や写経の経巻に施された装幀!
その起源は、中国六朝の宋代(420~479)に遡るといわれており、掛軸の名で現れ、掛け拝するの意と説かれています。
また書画の表装が体裁を整えるのは唐代(618~907)で、書画を裏打ちし、表装し、軸と竹をつけて横巻にしたものがその始まりとされています。すなわち横巻である経巻がこれに相当し、大経師【だいきょうじ】装こう師【そうこうし】などの名にその名残がうかがえます。
また一面ではチベットから唐文化に流入した壁画崇拝から端を発して、その移動価値を高めるために掛物が発達したともいわれています。この過程は空海が将来した仏画に類似したとう画などに見ることができます。
唐風から和様へ、萌芽する大和の心
仏教絵画は礼拝の対象として大いに発展し、表具の前身と見られる装幀を!
経巻や断簡には最高の贅を尽くした装飾!
中国とわが国固有の文化と相俟って、日本風の優しい様式が生まれだした書!
このようにして、礼拝の対象として仏画の内容を持って生まれた掛物は、移動性と数量加増の目的も叶えられ、頂相(僧の肖像画)にその例を見るように多くの崇拝者を得ることとなります。
これらは日本にも流入し、はじめは平安時代(794~1185)に主として密教を通じて輸入されたのでありますが、さらに鎌倉時代(1185~1333)に入って禅宗の伝播とともに数量・内容とも拡充されるに至りました。
そして室町時代(1336~1573)に入ると、日本でも五山文学の興隆とともに禅僧同士で、画賛が行われることなり、いわゆる詩画軸が多数制作されることとなりました。
一方また、この時代には地方の豪族から端を発し、やがて室町幕府がその中心となって唐物尊重主義の時代となりました。ことに唐絵はその中心をなして、その筆者の年代や位分けも吟味され、ついに『君台観左右帳記【くんだいかんさうちょうき】』に見られるように見事な分類が行われるに至りました。
ここに至って掛物は単なる信仰の対象としてのみではなく、純粋に絵画としてもその芸術性を賞玩する対象となりました。
公家文化と武家文化の共存
表装の技術発展と表具の基礎確立!
日本独自の優美さを追求した歌仙絵などの盛行!
他方、書の方の世界でも、平安時代には詩や和歌はすべて帖(冊子)や巻物で書写されたのに対し、鎌倉時代に入ると懐紙(「熊野懐紙」が著名)が流行するようになり、これに色紙も加わることになりました。
しかしこれらはいずれも掛け軸としてではなくて、本紙のままで伝えられましたが、室町以降になってこれらが表装されるようになり、掛け軸に加えられるようになりました。
ところが歌書の方はほとんど近年に至るまで旧状(巻子や冊子)で伝えられ、大正(1912~1926)・昭和(1926~1989)になって分断されて表装し掛け軸となったものが多いです。
これは経巻についてもいえることで、古筆手鑑に貼付される以外は天平・平安・鎌倉以来の巻子状で伝世し、近年切られて表装されたものが多いです。
なお懐紙の場合、鎌倉期のものは室町以降に表装されたが、室町以降のものは揮毫と同時に表装されたものが多く、その点は色紙や短冊(短尺)とやや事情を異にしています。
もちろん色紙や短冊も制作後まもなく掛け軸に仕立てられるものもありますが、この傾向は江戸時代以降に多く、従って古筆が分断されて掛け軸になるよりは概して時期が早いです。
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